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撮影 青山裕企
メガネキャラは「あざとい」か
※この記事は2016年に発表されたものです。
「メガネ美人ですね」とお褒めの言葉を頂く一方、「あざとい」とか、「メガネっ娘キャラを”演じて”ムカつく」なんて言われることもある。そういうとき、何と言い返せば相手をギャフンと言わせることができるか(ギャフンという表現が古いのは置いといて)いつも考える。
マルカワで1番イケてる服も、ビームスには敵わない
近眼になったのは高校生の頃。メガネにするのはダサいし、コンタクトレンズは痛そうだから、そのまま何とか視力0.7くらいで持ちこたえてくれることを願ったがダメだった。私の目はどんどん悪くなり、所属していた吹奏楽部で、目の前の楽譜が読めないほど視力が落ちた。ついに部活のときだけメガネをかけるようになった。初めてメガネをかけたときは、「こんなに譜面が見やすいのか! 指揮者(先生)の表情までよく見える!」と感動したものだ。が、私はメガネをかけるのが嫌だった。理由は単純で、ダサいから。ただでさえスッピンの垢抜けない高校生が、メガネなんてかけたらおしまいだと思った。私はほどなくして、コンタクトを買った。目が乾いても、なんとか我慢した。
コンタクトだと、すべてがキマる。近視のメガネは、せっかくのお化粧もフレームが見えなくするし、レンズが厚いので目が小さく見える。とにかく、どんなに可愛いフレームを選んでも「マイナス」になってしまうのだ。一般的な容姿の女子が「最高のメガネ」をかけても、「ジーンズメイトやマルカワで1番イケてる服」を選んでいるようなもの(失礼)。所詮、ビームスやナノ・ユニバースには敵わないのだ。美人だって、あえてメガネによって顔を「マイナス」にする必要はない。ファッション誌の表紙は、ほとんどが裸眼かコンタクトのモデルだ。
「メガネはお顔のアクセサリー」に「ハァ?」
昔、「メガネはお顔のアクセサリー」というキャッチコピーを、田舎の眼鏡屋で見かけたことがある。その広告のモデルは、欧米人の美女だった。「絶対この人、メガネかけてない方がいいじゃん!」と反発したものだ。当たり前だが、メガネ美人は、メガネを取っても美人でなければ成立しない。……と書いていると、メガネっ娘をバカにしているようにしか見えないかもしれない。ごめんなさい。今でこそ「メガネっ娘」なる萌え属性があるし、それで売っているアイドルやアナウンサーもいるが、ほんの10数年前まで、メガネはダサい女の代名詞だったのだ。私は今も、「メガネ=イケてない」という呪縛に洗脳されているのかもしれない。皆から、美人は裸眼かコンタクトと相場が決まっている。そっちのほうが服も映えるからだ。わざわざ、素敵な自分の顔をメガネで「マイナス」にする必要があるだろうか。今、流行の「おしゃれファッションメガネ」は、もともと見目麗しく、かつ私服がキマっている人がやるもの(だと思っていた)。私服までダサい一般人がメガネをかけても、ただ「メガネのダサい人」。だったらコンタクトの方がいい。あのトミー・フェブラリーだって、もともとはメガネをかけていなかったではないか。そのほうが美人に見えたからだろう。
撮影 青山裕企
メガネキャラになった「罪悪感」と、それを打ち消した加齢
ひたすらメガネdisを繰り返してしまったが、ここ数年、伊達メガネが流行るようになり、イメージが変わった。先述のトミー・フェブラリーなど、芸能人の影響もあるかもしれない。差別化のために「メガネ」を使う人も増え、たまに、私もその一員に(良くも悪くも)入れて頂くことがある。それこそ「人気取りのためのメガネだろ」と皮肉られるが、聞いて欲しい。私はもともと、コンタクト装用、メイクで激盛りしたツイッターアイコンだったのだ。一般人の自分にとっては、コンタクトのほうが明らかに「盛れる」と思えたからである。ところがある時、ほんの酔狂でメガネバージョンのアイコンにしたら、非常に「ウケ」が良かった。私は調子に乗り、「メガネライター」と名乗ってしまった。もう後には引けない。「メガネ美人」と褒められれば嬉しかったが、やはり罪悪感は消えなかった。あの時の「打算」が傷になってうずくのだ。少し前までは、「メガネ=ダサい」という意識が抜けず、プライベートでの外出時はコンタクトにしていたので、メガネライターという自称に罪悪感もあった。差別化にすぎないのに……と、自分を責めた。が、メガネキャラが定着するにつれ、「メガネの自分」もまた、好きになることが(ちょっとだけ)できるようになった。
大好きな祖母が、「メガネは盛れないし、コンタクトのほうがいい」と愚痴る学生の私に対して、「あなたはメガネの方が似合うわよ」と、何度も言ってくれたのも大きいかもしれない。身近な人のアドバイスは、意外と効いてくる。最近は、アラサーになって少し老化してきたので、メガネで目元の皺やたるみが隠せるのも嬉しい。このままいけば、エッセイストの酒井順子さんのような「メガネっ娘」になれるのではないかと、密かに(また)打算している。私は加齢によって、メガネ=ダサいという呪縛から、少し解き放たれたのかもしれない。今はおしゃれにも興味がなくなってきたので、まあ、盛れないメガネでもいっか、と思うようになった。というわけで、ダラダラと「メガネライター」を続けている。もともと裸眼の人に、この葛藤のプロセスが分かってもらえるだろうか。もし私が、次に「罪悪感の泥沼」に陥るとしたら、レーシックをして、ダテメガネをかけるようになったときだと思う……が、実行に移す予定はない。このメガネを、昔よりは愛しているからだ。
北条かや
1986年、石川県金沢市生まれ。ライター。同志社大学社会学部、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。最新著書は『こじらせ女子の日常』(宝島社)『本当は結婚したくないのだ症候群』(青春出版社)。その他の著書に『整形した女は幸せになっているのか』『キャバ嬢の社会学』(いずれも星海社)がある。NHK「新世代が解く!ニッポンのジレンマ」、TOKYO MX「モーニングCROSS」などに出演。
【Twitter】@kaya_hojo
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執筆:
北条かやライター
1986年、石川県金沢市生まれ。ライター。同志社大学社会学部、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。著書に『こじらせ女子の日常』(宝島社)『本当は結婚したくないのだ症候群』(青春出版社)。その他の著書に『整形した女は幸せになっているのか』『キャバ嬢の社会学』(いずれも星海社)がある。NHK「新世代が解く!ニッポンのジレンマ」、TOKYO MX「モーニングCROSS」などに出演。
同志社大学社会学部卒
京都大学大学院文学研究科修士課程修了
民間企業勤務を経てライター、著述家として活動
出演
『新世代が解く!ニッポンのジレンマ』(NHK)、『モーニングCROSS』(TOKYO MX)
著書
『キャバ嬢の社会学』(2014年星海社新書)
『整形した女は幸せになっているのか』(2015年星海社新書)
『本当は結婚したくないのだ症候群』(2016年青春出版社)
『王子様はどこへ消えた?――恋愛迷宮と婚活ブームの末路』(2019年青春出版社青春文庫)
『こじらせ女子の日常』(2016年宝島社)
『インターネットで死ぬということ』(2017年イースト・プレス )
さまざまな施術が受けられるクリニック
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