出典 http://www.comico.jp/

美人を照らす照明は明るすぎて

「私はいつも主人公 私を照らす照明はいつも明るくて眩しい 照明が当たらない場所のことは知らなかった」――無料漫画サイト、comicoで連載中の『全ての人が美しい世界』(作者:シュークリーム)に出てくるセリフだ。これほどまでに「美人のホンネ」を、嫌味ではなく率直に表現した文章を、私は知らない。「見た目」が最も重視される思春期の頃からずっと、美人は明るい光の中を歩いている。光が当たらない場所(”美人ではない人たち”から見える世界)を、美人は知らない。少なくとも、外見で「上げ底」されている若いうちは。

ブスは努力しても報われない?

振り向くアルム

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『全ての人が美しい世界』の舞台は、韓国。「ナノボット(美容)整形」なる最新技術によって、全ての人が平等に美しくなれる社会で、外見にとらわれた若者たちが様々に思い悩む……という設定だ。今回取り上げるのは「シーズン1~midnight circus~」。これがまあ、面白いのなんのって。主人公は、進学校に通う「ダウン」という女子高生。見た目はあまり可愛くない(と自認している)。ダウンは幼い頃から外見の「不利さ」を埋めようと、優等生キャラや、誰にでも優しい良い子キャラを演じたりして、必死に生きてきた。クラスで浮かないよう、必死に笑顔を作ってお菓子を配り、自分より不細工で暗そうな子にも優しく声をかける。(私はこれだけ努力しているのに……)彼女が憎むのは、もう1人の主人公「アルム」。彼女は、誰もが振り返るほどの天然美女だ。ダウンが絶え間ない努力で維持する人間関係を、アルムはいとも簡単にクリアしてみせる。アルムの周りには、自然と人が集まる。さらには「人格」が良さそうだからと、ダウンを差し置いて学級委員長にまで選ばれる。努力しても報われない事はあるけれど、(あんたはまたそうやって涼しい顔で 当たり前のようにもっていく……)容姿がいい「だけ」で。ダウンの心は、アルムへの憎しみで満ちていく。許せない。あんたは顔がいいだけでしょう。他に何か持っているの?

ダウン

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美人じゃない私たちの中には、美人をねたむトゲがある

狭いクラス内での人間関係は、とても息苦しい。浮いてしまったらもう、居場所がない。物語中では皆、「ダウンはブスだけど成績良いよね」とか「アルムは美人だから得している」なんてホンネは絶対に言わず、必死で性格をよく見せようとしている。思春期はまさに「外見至上主義」が支配する時期だ。多くの男女が見た目を気にかけ、「自分はどのレベルか」周囲と比べて振り回される。が、見た目にこだわりすぎても「飾り過ぎ」「気にしすぎ」はては「キモい」などと言われる。ダウンと同じ心で、美人のメリットを享受するアルムを憎む女子は沢山いるが、誰もそれを口に出さない。(私は人を外見なんかで見てないわ、優しいでしょ)狭いコミュニティ内で、他人の容姿をネタにするのは”ブーメラン”。美人の悪口を言えば、即「性格ブス」認定され、次の仲間はずれのターゲットにされてしまう。そのストレスから、女子たちはさり気なく「アルムっていつもさらさらのストレートヘアだよね。すごく気を使って維持してるみたいよ。コテとか使ってさ」などと陰口を言う。美人じゃない私たちの中には、美人をねたむトゲがある。そのトゲをあらわにするとき、私たちは一緒に傷ついている。一体、誰に傷つけられているのだろう。

美人は本当に「苦労しない」のか

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美人から見た世界は、どんなものか。アルムは幼い頃から可愛らしく、苦労したことはなかった。いつも友だちが集まってきて、自然と笑顔になる。誰かを憎む必要もなく、性格まで良いアルム。そんな彼女も、中学以降は(そう、思春期だ)苦労する。教師たちが、アルムの可愛らしさに惹かれてえこひいきするようになり、女子たちから距離を置かれてしまうのだ。「アルム、可愛いからって調子のってんじゃない?」「良い子ぶりっこ」と、一致団結する女子たち。(私のせいなの? 私は私のままなのに、どうして周りはあれこれ言うの?)アルムは徐々に、自分が周りから見た目「だけ」で注目され、審判されていることに気づく。でも、舞台からは降りられない。そこで自分がキレたら、「性悪美女」認定されるからだ。アルムは悔しさを必死で隠し、「悪口にも気づいていない、性格のいい美女」として振る舞う。美人が「美人の苦しみ」を表明すれば、もっと嫌われるだろう。私は、周りの人間が「妬みや羨望」を自由に投影できる、鏡のような存在なのだ。苦しい。

私の顔は他人のもの、だから悩んでしまう

拙著『整形した女は幸せになっているのか』で私は、「顔は他人のもの」と主張した。私たちは、自分のほんとうの顔を自分で見ることができない。外見の評価は、本質的な意味で他人に委ねられている。いくら自分で「美人」と思っていても、社会的な評価は他人がくだす。だから「私の顔は他人のもの」。そこから、外見をめぐる悩みが生まれる。『全ての人が美しい世界』のアルムとダウンも、他人の目に振り回されて、外見サーカスの舞台の上で曲芸師として踊っている。いや、踊らされているのかもしれない。どっちも悲惨だ。他人の目から自由になることさえできれば、「本当の自分」と向き合えるのに……『全ての人が美しい世界』を読むと、外見至上主義の根深さに溜息が出る。ブスか美人か。他人を振り回し、そして振り回される私たちは一体、誰を憎めばいいのだろうか。

外見サーカスの舞台の上

北条かや

1986年、石川県金沢市生まれ。ライター。同志社大学社会学部、京都大学大学院文学研究科修士課程修了。最新著書は『こじらせ女子の日常』(宝島社)『本当は結婚したくないのだ症候群』(青春出版社)。その他の著書に『整形した女は幸せになっているのか』『キャバ嬢の社会学』(いずれも星海社)がある。NHK「新世代が解く!ニッポンのジレンマ」、TOKYO MX「モーニングCROSS」などに出演。
【Twitter】@kaya_hojo
【Facebookページ】北条かや
【ブログ】コスプレで女やってますけど

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