人気企画「イケメン医師に会いたい!」第十六回は、新橋駅から徒歩数分、リゾナスフェイスクリニック東京の山口憲昭医師(やまぐち かずあき)先生です。
“Quality of Life Surgery”を座右の銘として、顎顔面手術をはじめ、顔より上にこだわり総合的に施術を提供する美容外科開院の理由とは。
YouTubeの解説動画そのままの、“大阪の気のいいあんちゃん”キャラですが、とにかくひとつひとつの言葉に根拠があるような、考え抜いたようなしゃべりが印象的でした。フリー美容外科医時代、輪郭オペ技術の習得経緯、プライベートなどもたっぷり語っていただきました。
山口先生のここまで詳しいインタビューはなかなか読めないので、ALL history of 山口先生、こころしてどうぞ!

目次

  • ・医師を志した理由
  • ・大学卒業後の経歴
  • ・美容医療を志した理由
  • ・得意な施術について
  • ・技術習得について
  • ・リゾナスフェイスクリニック東京の特徴
  • ・来院される患者様で多いお悩み
  • ・価格設定について
  • ・自身の美容法
  • ・お休みの過ごし方・家族について
  • ・ワークライフバランスについて
  • ・若い頃の忘れられない恋愛
  • ・憧れの医師について
  • ・SNSについて

母親がボソッと「あなたは人と関わる仕事をしなさい」と珍しくアドバイスしてきました。父親ががんで早く亡くなっていることもあって、お医者さんの道もあるのかなと考えました

リゾナスフェイスクリニック東京山口医師

ー医師を志した理由をお願いします。

山口先生(以下Y):僕は高校3年生まで地球の環境について考えていて、理学部に行こうと思っていました。勉強は割と好きで取り組んでいて、グローバルな研究をテーマにして考えていました。父親ががんで早く亡くなっているので祖父が父親代わりでいて、祖父は警察関係の仕事をしていたこともあり、「警察庁に行くんや」とすごく説得してきました。

一方僕は、研究者になりたい思いがあったので母親に「研究者の道を行こうかなと思うねんけど、どう思う?」と珍しく聞いたんです。僕は小さい時から勉強を勝手にずっとやってるタイプでしたので、母親と勉強の話をすることはそのときまでなかったのですが、その時に母親がボソッと「あなたは人と関わる仕事をしなさい」と珍しくアドバイスしてきました。その時は流したんですけど、どうしようかなと思った時に、父親ががんで早く亡くなっていることもあって、お医者さんの道もあるのかなと考えだしたのが高校3年生でした。

ーご家族のアドバイスが大きかったのですね。

Y:学校の先生に相談をしたら「なぜ医学部に行きたい?」と言われました。なぜなら母子家庭のため、浪人はしたくないし現役で行きたい、しかも家から通える距離の大学が希望という、すごい条件の中で急遽医学部を受けることが決まり、結果京都府立医科大に行きました。長年医者になりたくてなったわけではないです。

あとは父親のがんの闘病生活が長くて、闘病してる本人もつらいけど、それをケアしてる家族も同じくつらいことをその時実際に経験したので、人の命に関わる仕事をしたいなというのもきっかけですね。

ー高校3年生になってから医学部への進路を決めて、受験には間に合いましたか?

Y:学年でトップクラスにずっといたので、勉強はすごくできてました(笑)。当時僕は、国語はできずに理系科目が得意だったんですよ。国語が苦手なのは、「国語で、この問題を出している人の意図と違う考えもあってもいいやん」という屁理屈で間違えることが多かったです。

センター試験は点数が取れない前提で「二次試験で挽回できる高難易度の大学に行かないと医学部合格は難しい」と先生に言われていました。
京都府立医科大は医学部の試験の中でいうと、むちゃくちゃ変な問題で難しい大学なんですよ。センター試験は案の定ダメで、それを二次で挽回して受かりました。

ー大学卒業後の経歴をお願いします。

Y:大学時代ヨット部に入り、勉強よりもヨットにかなり専念していました。当時、ヨット部の日本医科学生体育大会という大会で、医学部系の日本一になりました。その時「このままヨットばかりしていたら俺、アホになる」とふと思って4年生でヨット部をやめて、5年生からは勉強に向き合いました。勉強して将来のことを考えていた時に「日本で一番いきいきと研修医が働いてる病院はどこなんやろう」と思って、日本の北から南までの研修病院を十何カ所も回ったんです。

その中で見つけた沖縄県立中部病院が、研修医が中心で回してるような病院でした。かなりタフな現場で当直も月に十何回もあって大変だけど、そこも面白いと思って沖縄に行きました。僕の大学卒業後のスキルは沖縄県立中部病院で習得しています。

ー研修医が回している病院という観点がすごいですね。

Y:そこで2年間外科研修後医者になると考えたときに、僕の性格上、何にでも興味があるので、内科、外科、放射線科、がんの緩和、全部やりたいと思っていました。けど全部をやるには、メジャーの内科や外科とは違う分野のマイナー科と言われている耳鼻科、眼科、泌尿器、皮膚科などのほうが、全部できるなと思いました。

その頃の僕は、いったん泌尿器の教授になろうと思っていて、沖縄での2年間の研修が終わった後に、京大の泌尿器科に入りました。京大の泌尿器科で手術がうまい先生のところでぜひ勉強したいと思い、その後、神戸市立医療センター中央市民病院に後期研修で行きました。そこで泌尿器系のがんの治療の勉強をしました。

泌尿器外科という領域で、腹腔鏡の手術、経尿道の手術、後腹膜鏡の手術から抗がん剤の治療、緩和を2年ぐらい専念していました。当時、川喜田(睦司)先生の手術が日本の中でトップクラスに上手で、僕自身も手術をたくさん学ばせていただきました。たくさん学ばせていただいた結果、僕の手術は当時から「研修医ではありえへんぐらいの出血量、手術時間で終わりやん」みたいな感じでうまかったんです(笑)。

QOL=クオリティ・オブ・ライフ、生きるか死ぬかの命を助ける治療の次は、「社会復帰していく中で、どうやって幸せに生きていくのか?」というところを伝える外科があってもいいのではと気づいたんです

リゾナスフェイスクリニック東京山口医師

ー当時から素質があったんですね。

Y:しかしふとした時に、治療がマニュアル化されて、確立されすぎていて、流れ作業のようだなと感じました。アルゴリズムが全て決まっていて、診断をしてステージングをしたら「軽症の人はこっち、重症な人はこっち」となっていきます。その過程で外科治療や放射線治療などがあり、治療し続けても厳しいと決まった場合は緩和になっていきます。

この決まったアルゴリズムにすごい違和感を感じている時に、とある患者さんの泌尿器系の疾患でフルニエガングレン(壊疽性筋膜炎)という感染症の対応をしました。この感染症の怖いのは足など全部壊死していくことで、その治療を形成外科の先生と一緒に再建を行いました。

再建というのは、命は助かったけどこのままでは社会復帰できないので社会復帰をするお手伝いとして、形成外科の治療を使って手術を一緒にやったんです。その時に「なんて素晴らしい仕事なんやろう」と思ったんです。表に見える仕事なので「命は助かっても社会復帰できへんかったら幸せちゃうやん」という思いが心の中にずっとありました。外科でよくあるのがお腹の中の手術をすると、お腹の中は見えないので「蓋されたら分からへん」みたいな思いがありました。一方で形成系の仕事は表側の治療なので、この仕事は素晴らしいと感じました。

ー治すだけではなく、その先も見据えるような医療だと。

Y:その時に聞いたのが”QOL surgery”という言葉でした。QOL=クオリティ・オブ・ライフ、生きるか死ぬかの命を助ける治療の次は、「社会復帰していく中で、どうやって幸せに生きていくのか?」というところを伝える外科があってもいいのではと気づいたんです。それで転科しようと決めました。

当時所属していた京大の泌尿器科の教授に転科の挨拶に行くと、「これからの時代メスで食えると思ってるのか!」と当然激怒されるわけです(笑)。ですけど僕は、「先生、それは分かりません。だけど見ててください。やりたいと思ったらやりたいんです!」と返事して、どこの形成外科へ行くか、行脚が始まりました。

様々な病院を見に行き、「形成で一番輝いてる病院はどこなんやろう?」と思って探すと、岡山大学病院の形成再建外科でした。名前も、再建という言葉が入っています。岡山大学病院の有名な、木股(敬裕)先生との出会いがあり、岡山大学病院に行くことにしました。

ー再建と形成外科の先生との出会いが運命となるわけですね。

Y:岡山大学病院ではマイクロフェローといって、顕微鏡の手術をしていました。がんで取れた箇所を他の組織から持って来て治すことをしていました。女性の例ですと乳がんの胸の再建です。頭頸部がんでいうと、体の骨や肉や神経を持って来て治すということをやっています。それを2年ぐらい徹底的に勉強していました。またマイクロサージャリーの修業をして実際に執刀して、切断された指をつなぐこともやっていました。

そんな中で大阪市立総合医療センターへの出向の話があり、どうせ行くんやったら、「俺が病院を変えるぜ!」ぐらいの気持ちで行こうと思って、岡山大学病院から大阪市立総合医療センターに出向というかたちで行くことになりました。

ーこの時から大阪勤務になるわけですね。

Y:大阪市立総合医療センターは、大人の形成外科の治療と子供の形成外科の治療を半々ぐらいでやっていて、がんの再建も当然ありました。もう一つは先天異常といい、生まれながらに顔の形が乱れてる子や、唇が割れてる唇裂口蓋裂の子、目の開きが悪い子、頭の形が歪んでしまってる子や指がくっついている子など、様々な子たちの治療をしている病院で、そこで僕の新しい修業が始まりました。形成再建外科としてマイクロサージャリーの修業をしてきた中に、小児形成の分野も加わりました。

そこで一生懸命治療をしていると、その病院の院長から当時後期研修にも関わらず「形成のスタッフとして枠を作るから、スタッフ一号として残ってくれないか」とお話していただき「これも運、流れやから乗りましょう」ということで、しばらく大阪に残ることを決めました。

当時、大阪市立総合医療センターでは乳房再建をまだやっていませんでしたが、岡山大学病院でやっていた治療なので乳房再建を立ち上げていただいて、専門医も取得し万事順調に成長していました。そんな中で留学の話がきたんです。

台湾の先生は「カズ、ここは左手でメスを使いなさい」みたいなことを当然のように言われるんです。手術室一つ全てを僕に任せてもらえるようになり、”ジャパニーズカズ”と呼ばれていました

リゾナスフェイスクリニック東京山口医師

ー環境が整っていく過程で、思わぬ海外留学の話があったと。

Y:僕自身はもともと“QOL surgery”をやりたくて動いていましたが、結局最後の仕上げをするのは形成外科の治療の中でいうと、美容なんです。これは世界で見ても当たり前の話で、海外では保険診療と美容の自費診療の境界線があまりなくて、見えないかたちでつながっているんですね。

ところが日本は、保険診療と自費診療はかけ離れています。保険診療から美容もやっている自費診療を取り入れたいと思って、当時大阪の病院でも試みましたが、賠償保険であったり、もし訴訟が起きた時や、もし万が一の話など様々な要因がありうまくいきませんでした。

そこで留学の話が来た時にアメリカ、フランス、台湾の選択肢がありました。僕は黄色人種なので、「黄色い肌の人たちはどのように形が変わっていくのか」ということに一番興味があり、台湾を選択しました。留学先のChang Gung Memorial Hospital(チャングンメモリアルホスピタル)は、手術室が100室ぐらいあるかなり大きい病院でした。子供の診療から大人の診療、骨の治療もかなりのハイレベルで、世界中からフェローを集めて、かなり進んだ治療をしていました。

子供の診療から唇裂口蓋裂の子たちの骨の治療、外傷で顔が崩れた子たちの骨の治療も含めて全部学びに行くことになり、実際に保険診療と自費診療の美容の部分がつながってるかたちを目の当たりにしまして、「これをいつか日本でもできたらいいな」と思っていました。

ー海外での保険診療と自費診療の境界について、お話を聞くまで知りませんでした。

Y:留学中に、論文をたくさん書き、手術もたくさん勉強し、プロフェッサーに厳しく指導を受けました。向こうのプロフェッサーは両利きで、赤ちゃんの治療の最中に「カズ、ここは左手でメスを使いなさい」みたいなことを当然のように言われるんです。けど今まで右手でしか切ったことがない僕が突然左手で切れるわけありません。

そんな僕は両利きではなくても様々なテクニックを持っていたので、向こうの先生たちが勉強しに来るぐらいになり、”ジャパニーズカズ”と呼ばれていました。そのうちプロフェッサーに認められたのか、手術室一つ全てを僕に任せてもらえるようになり、結果たくさんの手術をやることになりました。

形を変えることが目的ではなく、幸せに生きる=well-beingが僕の本当の目的で、そこに携わる仕事をやるために自分の人生を使いたいと思い、美容に行こうと決断をしました

リゾナスフェイスクリニック東京山口医師

ー台湾のプロフェッサーはとても厳しかったんですね。ここでも腕のうまさを発揮される。

Y:その後、大阪の病院から、日本に帰国し、岡山に行ってほしいという話がありました。岡山大学病院に戻りなさいと言われても、そこで再建はもちろんしていますけど、僕がやりたいクラニオフェイシャルサージャリー(頭蓋顎顔面外科)という顔面を全部扱う診療となるとまた違うので、台湾のプロフェッサーに相談をしました。

「カズ、おまえみたいな轍が今までに2人いる。アメリカの先生と韓国の先生、同じようにボスにピックアウトされた。才能があるということだ、ハハハ」と(笑)。僕からするとかなり焦っているので笑えないのですが、「せっかくだから、先輩の話を聞いてこい」と言われ、それぞれの話を聞かせてもらいに行きました。

アメリカの先生は10年冷や飯を食うぞ、と。だが10年後に教授になってる、と。耐えて耐えて10年経って教授になり、今すごい頑張っておられます。もう1人の韓国の先生はすぐに辞めて美容に行った、と。美容に行って大手で学んだ後すぐに開業して、今は自分のやりたいことをやっており、実際に手術室も見学させてもらいました。

2人の先輩のお話を聞き「僕の原点は何やったんやろう」と考えると”QOL surgery”をやりたいと思い出しました。それは形を変えることが目的ではなく、幸せに生きる=well-beingが僕の本当の目的で、そこに携わる仕事をやるために自分の人生を使いたいと思い、美容に行こうと決断をしました。

ー短い間にいろいろあったようでも、ここで原点回帰というかご自身の中での確認があった。

Y:台湾にいる間に、日本に帰ってきた後の就職活動を始めました。いろんなクリニックと連絡を取り、実際にたくさんの人ともお会いしました。その中でも、湘南美容クリニック代表の相川先生にお会いした時に彼が一番オープンマインドで、「好きにしていいよ」という感じでした。

僕が台湾でやっていた顔の骨を切って大きく変えるルフォーなどは、まだ日本の美容で扱う流れがなかったのですが、「やっていいよ」と相川先生に言っていただきました。台湾から帰って来てからは湘南美容クリニックに勤務することになりました。

ー国内でも海外でもいろいろあり、すごい濃厚な内容です。10年ぐらいでしょうか。

Y:そうですね。ノーカットです(笑)。

僕のやってる仕事はマエストロ(オーケストラの中では指揮者)なんですよね。そのマエストロとしてやる中でハイクオリティなオーケストラを完成させようと思うと一つ一つの演奏のクオリティは高くなければ当然成立しないんです

リゾナスフェイスクリニック東京山口医師

ー美容医療を志したきっかけは、台湾留学で培ったことを活かしたいと思ったんでしょうか。

Y:“美容医療”という感覚ではないんですよね。僕の中では一体化されたもので、保険診療も自費診療も同じものだと思います。保険診療であっても美容の自費診療であっても、基本的にはゴールは同じはずですが、今の日本のスタイルがいびつなんです。国が医療費を支払っているので一応決まりを作らないといけない、というボーダーラインがあるから「保険診療ではここまでしかできません」となるわけです。

例えば「病気で死んでしまう人と、自分の顔が不細工でいじめられて死にますと言っている人と、その間に境界線は存在するのか」と言われたら、それはほぼ哲学の話になるので、線が引けないんです。客観的な疾患があれば保険で適用されるけど、そうでないものは自費になるのが現状であり、本質的な違いというものは、そこにはないんですよね。

世の中には、見た目を変えたら必然的に幸せになるだろうと思っている人がいますが、その考えの人には、手術はしないです。見た目を変えたその先のことが大事だからです。なので僕は見た目を変える、お顔の形を変えるという仕事を通して、その人の核に迫りたいので変なカウンセリングをしています(笑)。時間かかるし、話長いし、手術しないと言われています(笑)。

ー山口先生の得意な施術を教えてください。

Y:得意な施術についてよく聞かれますけど、僕の生業としては、顔から上全部です。骨もやるし、鼻もやるし、目もやるし、フェイスリフトも全てやります。全ての手術が僕にとってはオーケストラのようなものなので、個々の楽器の演奏をしているつもりはないんです。一般的に「楽器の演奏で得意なものは何ですか」という聞き方を多分されているんですけど、個々の楽器の演奏ではオーケストラはできないんです。

オーケストラハーモニーで初めて一つのものとして完成するので、僕のやってる仕事はマエストロ(オーケストラの中では指揮者)なんですよね。そのマエストロとしてやる中でハイクオリティなオーケストラを完成させようと思うと一つ一つの演奏のクオリティは高くなければ当然成立しないんです。

現存するいろんなところでされてる様々な美容医療としての目や鼻の手術というものと、僕が思っているオーケストラとしての顔の治療というものには、概念的にすごい乖離があるので、これはなかなか理解してもらえないです。

「A先生には目をお願いして、B先生には鼻をお願いする」ということが実際に韓国で起きていますが結局、鼻やフェイスリフトや骨それぞれの世界一になった人に治療をしてもらっても、顔は世界一にはなっていない、ということになるんです。「顔としてあなたの美しさが成立してますか」と言われると成立していないというのが現状です。

だから、「どの施術が得意ですか」と聞かれたら「全部」という答えになりますし、逆にいうと、「全ての手術が完成してるんですか」と言われるとそうではなくて、僕の手術にはバージョンが付いています。例えばOGS(顎矯正手術)などは今バージョン5.6でフェイスリフトはバージョン6.0。このように順番にバージョンアップしているのでゴールはない感じがします。

この治療法は、他の人が考えられないほどのこだわりを積み上げてきてるので、うちのクリニックの先生にしか見せないですが、一般的にされてる治療とは全く違う概念だと思います。

留学先の台湾では、多い時にはOGSの治療を1日12件していました。あり得ないぐらいの量の手術が並列していて、そういう環境で修業を積んできましたし、かつ数をこなすには、治療プランの立て方がとても大事になります

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ー日本であまりされてない顎顔面に関する手術の技術習得は、どこでされていたんでしょうか。

Y:基本となるものは必要です。それこそ今僕がしている治療のルフォーは、正確にいうと、”ルフォーⅠ型上顎骨切り術”と名前が付いていて、ルフォーⅠがあるからにはルフォーⅡもⅢもあります。ルフォーⅢというのが一番ハードな手術で、顔の形が壊れるぐらい変わります。そういう治療を小児形成に携わっていた頃にやっていました。

10万人に1人ぐらいしか生まれないような非常に珍しい先天性疾患ですと、生まれながらに目が飛び出てしまっていて、その子たちのお顔を治すとなると、骨格の成長が遅いので、まずは骨切りをすることから始まります。骨を強制的に動かして、眼球を下げるような治療をしたり、頭の形が小さいので頭蓋骨を拡大して治していくような治療をしていました。

ー聞くだけで難しそうな輪郭系の骨切り治療がベースにあると。

Y:そのベースがある中で日本のOGSの治療は1日1件できたら「よくやってるね」という話が、僕の留学先の台湾では、多い時には1日12件していました。あり得ないぐらいの量の手術が並列していて、縦軸の時間もいっぱいやってることがあり、そういう環境で修業を積んできましたし、かつ数をこなすには、治療プランの立て方がとても大事になります。画像解析がかなり重要です。

今でもレントゲンを透かして見ている人がいますが、それでは何も読み取れないです。そうではなく、3Dの情報をレンダリングソフトに入れてサーフェススキャンしたような歯型の情報、3次元の写真のデータを全部パソコンに入れて初めてシミュレーションができます。その情報を微調整をすることで、手術中に必要なデータをそこで分析をするから、手術が正確にできて、かつ求められているものが完成します。

手術単体のクオリティではなくて、術前の診断とその準備を総合的に見て、この手術をどうプロジェクションしていくのか、というところが全部シークエンスとして重要になってきます。これは台湾で学んできたことが大きいです。今僕がしてる診療は、その頃に学んだやり方からは随分変わってる部分もありますが、コンセプトはその時に学びました。

コロナで「やっぱりホームを作らなあかん」ということになりました。resonance(レゾナンス)=共鳴という言葉から、”リゾナス”という造語を創り、共鳴する場所を作りました

リゾナスフェイスクリニック東京山口医師

ークリニックの特徴について教えてください。

Y:このリゾナスフェイスクリニックは、もともと開院する予定はありませんでした。僕は診療する際に大事なのは仲間だと思っていて、以前はフリーランスとして、ナースと美容カウンセラーのチームを引き連れて一緒にクリニックを回っていました。ドラクエでいうパーティのようなものです。手術に行くのは僕だけが行くのではなく、ナースもカウンセラーもみんなで行って診療して、終わるとその場で解散ということをやっていました。自分の診てる患者様たちも、僕の行くクリニックが変わってもぞろぞろとついて来てくれるんです(笑)。

ー美容医療仕事人的な(笑)。

Y:ですがコロナ渦になりお世話になっているクリニックが、今後どうなるか分からなくなり、不安が出て来て、「僕は一緒に回ってるスタッフらを守れるのか」と考えた時に「やっぱりホームを作らなあかん」ということになりました。resonance(レゾナンス)=共鳴という言葉から、”リゾナス”という造語を創り、共鳴する場所を作りました。人と人が共鳴して、様々なものが高まっていく現象が、ホモサピエンスの能力だと思っていて、それを体現していく場所というふうに考えています。

ーフェイスクリニックなので、顔から上が領域ということでしょうか。

Y:実際の診療は現在行ってるものですと、顔から上のフィールドに関しては僕が責任もってやっており、リジュビネーションというアンチエイジングの部分、首のシワや、手がシワシワになることを含めて、トータルでQOL surgery、well-beingにつながるものをフルスペックで支えていきたいです。もちろん骨の治療とか切開系のフェイスリフトもしますけども、ボトックス、ヒアルロン酸注入、また再生医療等も含めて行なっています。

2023年の7月に、このビルの4階に美エイジングセンターというのをグランドオープンします。アンチエイジングという言葉自体が、年を取ることを敵とするから、アンチという表現になるんですが、本来エイジングすることはいろんな知識も増えていくし、人生が豊かになっていく過程なので、エイジングそのものは敵ではないはずなんですよね。

「美しく年を重ねていく」という意味でいくと、今海外ではアクティブエイジングであったりと、様々なポジティブな表現があります。年を取るのを楽しみにしていて、実際に年を1つ取ったら、自分への誕生日プレゼントに施術をするという患者様がいらっしゃいます。「今までは年を取ることが怖かったけど、施術で若くなれると思ったらすごく楽しみ」とおっしゃっていて、年を取ることに対してすごく前向きに向き合っていると思います。

そうすることが内面的な治療、美容内科に繋がると思っています。40歳以降の人はそもそも細胞学的に崩壊が始まっているので、必ず老いていきます。内面からもちゃんとケアして行かないと、表だけ取り繕っても細胞の老化は止まらないので、そこもちゃんとケアをする、総合的に診ているクリニックがリゾナスフェイスクリニックです。

ー来院される患者様で、土地柄多いお悩みはありますか。

Y:日本中、海外からも患者様が来られるので、土地柄で決まった多い悩みはないです。何かで悩んで、解決策がどうしようもないから来られる、いわゆる美容難民と呼ばれる方がたくさんいます。そういう方は、美容クリニックに行くと先生に「治すにはこれやったほうがいいよ」とか言われるんですけど、治らないです。

なぜなら一回目でうまくいってない方を治すのはかなり難しいし、技術が必要です。結果、美容に沼ってしまう方は、自分の考え方にも原因がありますが、「これやったほうがいいよ」と言われて、どんどん沼るんです。この悪いスパイラルを止めてあげないと、手遅れの状態になります。「先生、この辺の神経も全部切れてます」みたいなことも本当にあるんです。

美容難民の方の救済も僕の仕事なんです。そういう人たちは必死で探して来てくれます。僕の予約は今はもうジャニーズのチケットより取れないと言われてます(笑)。そういうことで日本のみならず、世界中のいろんなところから来てくれています。本当に悩んでる方がくる場所でありたいと思います。

ー美容難民の方も多いということで、ということはやはり他院修正が多いですか?

Y:そうですね。僕の診療の7割強は、修正ですね。

ー美容難民の方の救済はなかなか難しい感じがします。

Y:理由は色々あると思います。純粋に医師の技術が足りなくてそうなったケースもあれば、ご本人のリクエスト自体が、それを誘発するようなリクエストであったりもします。今の時代お顔の形を変えることに対しての、ハードルが下がってるんですよね。二重にするにも昭和の人たちが感じているものと、今の若い人たちやZ世代の人たちの感覚が全然違っています。

形を変えることに対する抵抗が下がっていることを前提に、ルフォーを例にすると、これが流行ったのは、骨切りが得意な先生にとってはすごくいいことなんですけど、一方でルフォーの手術をすることによって不幸になっている人たちもたくさん出て来てるのは事実だと思います。これは今後も減らないとは思いますけど、それに対して「どうすれば不幸な人を減らすことができるか」というのを考えた時に、医者のレベルを上げたいといっても無理なんです。

ーもういっぽうの患者さんの側のリテラシーも必要でしょうか?

Y:なぜならレベルの高い医者は、そもそも当然頑張っています。レベルが低いけど、無茶する人がいるんです。運転免許を取った後に煽り運転するようなもので、免許を取りに行く時にはしないことをする人がいるわけです。医師免許取った後に無茶してしまう人は当然いるわけで、それを未然に防ぐには、ユーザーのリテラシーを上げるしかないと思って、僕はお悩みサロンを作ったんです。

お悩みサロンは、おかげさまで4年目に入って、今もアクティブで1,000人以上います。彼らに情報発信をしていて、YouTubeもその一環です。内容としては「自分のことは自分で守りましょう」ということです。要するに「自身がが賢くならなかったら、誰も自分のことを守ってくれないよ」ということ。「この治療、ほんまにやってええんかな、どうかな」と悩んでクリニックに行ったら、きれいなおねえさんが「絶対よくなりますよ。今日やったら半額でできるんですよ」とか言ってくるんです。

その時に「いや、半額でできるってちょっと大丈夫なのかな?」と思う心を持っとかないといけないと。そういう学びを提供する意味で、情報発信をやっています。

ブランディングとマーケティングという部分を本質的には切り離して考えるべきではなくて、より楽しいことをやっていて、その上に価値があるのであれば、きちんとしたブランドとして立ち上げて、単価を上げていく。そこの信頼を表すものにしていかないといけないと思います

リゾナスフェイスクリニック東京山口医師

ーメニューを拝見しましたが、正直、お高いと思いました。値段設定についてはどのように設定していますか。

Y:値段はすごく大事です。どの産業も同じで、値段は一番のキーファクターで、値段を上げるとすごい勢いで顧客は減ります。それがたった100円であっても影響は大きいです。だけど逆に「価格はどうやったら上げられるのか」と考えないといけないわけです。

ブランディングとマーケティングという部分を本質的には切り離して考えるべきではなくて、正しいことをやっていて、価値があるのであれば、きちんとしたブランドとして立ち上げて、単価を上げていく。そこの信頼を表すものにしていかないといけないと思います。

僕がきちんとした価格を維持して提供し続けるというのは、圧倒的なブランドとしての安心感であったり、クオリティを維持していくことに対する自分の気持ちを引き締める意味でもやっています。値段を下げると、次に出てくる美容医療業界の若い医師たちは、もっと安くしないといけなくなります。そうすると業界全体の成長というのは当然頭打ちになってしまいます。

しっかり美容をやっている医師が値段の高い施術でも患者様が来てくれる状況を作っておかなければ、次の医師たちに対しても道を示せないので、価格はすごく大事だと思います。安ければいいだろうという考えでは、本当に全体が沈んでしまいます。もう一度何にいくらを支払っているのかということを考えないといけないと思っています。

ー実年齢よりお若く見えますが、ご自身の美容法は。

Y:美容はあんまりしていなくて、必要なお薬やサプリメントを飲んでるだけです。僕は、細胞の営みがどうなっていくのかにすごく興味があります。”生物学的ロバストネス”という言葉があり、”ロバストネス”というのは、仕組みや性質の中で何かバグが起きたときにそのバグを阻止することができる性質、余裕のある状態のことです。

多分、生物にもロバストネスが本来は備わっていて少々のダメージもちゃんと治す力があるんですね。ところがこのロバストネスは40歳前から効かなくなってきます。なぜなら、40歳以降になると、本来であれば食事から作っていける、細胞の回転をするのに必要なNADという酵素が働かなくなり、働かせたいのに原料が足りない状態になります。

そうすると40歳前ぐらいから、体のだるさ、寝てるのに眠気が取れない、二日酔いが治らない、病気しやすくなるということが多くなってくるんです。だから見た目をいくらケアしてても、細胞をちゃんとケアしておかないと衰えて行ってしまいます。その細胞に関わってくるのが、多くのクリニックで導入されつつあるNMNなんです。

あとビタミンDもですね。ビタミンDは、日光に当たることで肝臓と腎臓で排出されて初めて活性型になっていきますが、一方で日に当たるとシミやたるみが増えるから、日焼け止めを塗って光老化のケアをしないといけません。

日本人全員ビタミンDが足らないので冬眠状態になっています。血液検査をしたらわかりますが、ことごとくビタミンDが足らないせいで免疫も落ちています。細胞のビタミンDはステロイド骨格を持ってるので、細胞にとって非常にいろんな重要な役割がありますが、足りていません。

ー美容をされていますが、根本の細胞にも大いに関心があるということですね。

Y:見た目の美しさよりも、「健康でいての、美しさ」だと僕は思います。ただ、僕の中でも当然見た目的に老いを感じてる部分があるので、近々クマ治療でPRPをします。僕は再生医療にすごく関心があります。

従来のヒアルロン酸や脂肪注入は治療として確立している治療ではありますが、一方でその治療を使えない人たちや、既にやったけどよくなってない人たちが存在していて、それは例えばパズルのピースでいれば、全く違うピースとしてあるのが、再生治療なんです。これが少し怪しい感じで世の中に広がってしまっていましたが、本当に効果のある再生治療として使用したいので、PRPF療法研究会に所属をして、そこが認可してるプロトコルに従って僕も施術をやってもらいます。

僕は今年42歳なんですけど、クマが出てきたことでやはり疲れた顔になってきたと思いました。中身をちゃんとケアしてるけど、老いが進んでくる部分に関してはそういうものを行っていきたいと思っています。

家族とはオンライン上ではいつもつながってるし、LINEで出来事など報告し合っています。離れて暮らしていて面白いのが、一緒に暮らしていたときよりも会話が増えてる気がするんです

リゾナスフェイスクリニック東京山口医師

ーアクティブに動いているイメージですが、オフはどのように過ごされていますか。

Y:今日オフで、朝走ってきました。例えば温泉に行く過程でSNS投稿や、本の執筆をしたりで、今は移動しながらお仕事ができるのでいろんなところに行きつつ仕事をするスタイルです。

家族が海外に住んでいて、日本にいるのは僕だけなんです。家族に会いに行くのは僕にとっては小旅行なので、その間に仕事をしています。家族とは普段オンラインでよく会話をしていて、「お父さん一人で寂しそう」みたいなことを言われます(笑)。オンライン上ではいつもつながってるし、LINEで出来事など報告し合っています。離れて暮らしていて面白いのが、一緒に暮らしていたときよりも会話が増えてる気がするんです。

子供は白鳥の絵を描いて送ってくれたりして、日本にいた時に少しやさぐれた時期があり、小学校高学年の頃昔の明るさがなくなってるかなと思ってたのが、今本来の姿に戻っているからすごくうれしいです。そういう変化が見れて楽しいし、僕にとっての癒しです。

ー皆さんそれぞれの場所で成長しているんですね。

Y:僕は人生はありきたりな形ではなくていいと思っています。僕自身がそうなんですが、チャレンジしてなんぼだと思っていて課題を見つけてクリアしていくのが楽しいです。よく家族でご飯食べているときに「失敗とは」みたいな話をして、みんな「成功の母じゃない?」とか言っています。失敗するのをウェルカムとしてる考え方なので、みんな挑戦してますね。

ー働き方についてですが、クリニックでのお仕事以外は基本、移動中にされている。

Y:僕の働き方は割とフリーというか、仕事と私生活の間に線を引いていません。ワークライフバランスみたいな話がよくあるけど、好きな仕事をやっている人にとってはワークもライフも別に関係なくて、嫌だったらやめればいいという考えでやっています。
だから「仕事に行くのは嫌じゃないの?」とか、「手術するのはしんどくないの?」みたいなことをよく言われますが、全然嫌じゃないです。僕にとって瞑想みたいな時間です。体力的に疲れるので当然お休みが必要ですが、嫌だと思うことは何もないですね。

リゾナスフェイスクリニック東京山口医師

ー若い頃の忘れられない恋愛をこっそり教えてください。

Y:高校生のときの恋愛で、誰にも話してないのですが、「初キッスは血の味」というのがありまして(笑)。

ー映画かなにかのタイトルみたいですね(笑)。

Y:初キッスは血の味というのは、キスをするのに勢い余って歯と歯がおもいっきりぶつかって唇が挟まって血が出るという。あれが忘れられへん(笑)。

ー山口先生の憧れの医師は?

Y:これは僕にとっては台湾のプロフェッサーですね。僕のお父さんと思っている、ルン・ジョウ・ロウという先生です。両利きの外科医で、彼はいつもポーカーフェイスです。
ただ、手術室に来るたびに「Do you enjoy surgery?」と言ってくるんですよ。この状況で「楽しんでるか?」と聞ける人がすごいなと思っていて。日本でこの状況だと「楽しんでるか?」と聞く人はいないんですね。彼は人生を本当に楽しんでるし、人に教育をすることに対してすごくオープンマインドです。僕も彼とは違うかたちで、オープンマインドで生きていたいなと思ってます。

日本みたいな規制で「駄目」としか言わないのではなく「もっと柔らかい考えでいいんじゃないの?」というかたちです。「こう来るんやったらこう返せば?」みたいなフワッとした新しいかたちが必要だと思いますし、それが僕にとっては心地がいいので、そう生きたいなと思っています。

ー最後にインスタグラムで注目している医師はいらっしゃいますか。

Y:いないんですよ。インスタグラムは好きでやってるのではなくて、情報発信をする場所が必要だからやっていて、他の人のは見ないし、あまりスマホを触っていたくないんです。僕自身が歩くパワースポットと言ってるんですけど(笑)、どこからパワーを補っているのか、とよく聞かれるけど、基本自然でいることなんです。散歩が好きだし、走るのも好きだし、温泉に行って山の中にいるのも好き。デジタルの世界は、アウトプットをしに行く場所だと考えていて、デジタルの世界からインプットすることは、僕の中では重視してないです。

ーありがとうございました。

*本記事内でご紹介した治療機器、施術内容は、個人の体質や状況によって効果などに差が出る場合があります。記事により効果を保証するものではありません。価格は、特に記載がない場合、すべて税込みです。また価格は変更になる場合があります。記事内の施術については、基本的に公的医療保険が適用されません。実際に施術を検討される時は、担当医によく相談の上、その指示に従ってください。

リゾナスフェイスクリニック東京エントランス

リゾナスフェイスクリニック東京
住所:東京都港区新橋3-3-13 Tsao Hibiya5F
診療時間:9:00~18:00
休診日:不定休
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※山口医師の診察をご希望の場合、ご予約時にその旨お伝え下さい。
撮影:田渕日香里

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監修:

山口憲昭 医師

リゾナスフェイスクリニック東京

京都府立医科大学医学部卒業。海外の医療機関などで技術を習得し、治療のモットーは“Quality of Life Surgery”。再建治療に携わったことが転機で、美容の世界へ。SNSでは、美容難民の方を1人でも減らすための情報発信をしている。
湘南美容クリニック等を経て、2021年リゾナスフェイスクリニック東京開院。顎顔面手術も多く行っている。

2006年3月 京都府立医科大学医学部卒業
2006年4月 沖縄県立中部病院初期研修
2008年3月 沖縄県立中部病院初期研修終了
2008年4月 神戸市立医療センター中央市民病院 形成外科研修
2009年3月 神戸市立医療センター中央市民病院 形成外科研修終了
2009年4月 岡山大学病院 形成再建外科入局
2011年3月 岡山大学病院 形成再建外科退局
2011年4月 大阪市立総合医療センター 形成外科入局
2013年4月 大阪市立総合医療センター 小児形成外科・形成外科兼務
2015年3月 大阪市立総合医療センター 小児形成外科・形成外科退局
2015年4月 Chang Gung Memorial Hospital Craniofacial International Fellowとして勤務
2016年3月 Chang Gung Memorial Hospital Craniofacial International Fellow終了
2016年4月 湘南美容外科クリニック就職
2018年4月 湘南美容外科レグノクリニックSBC銀座院長就任
2019年8月 湘南美容外科レグノクリニックSBC銀座退職
2019年9月 メガクリニック副院長就任 / 加藤クリニック特別顧問
2021年5月 リゾナスフェイスクリニック東京院長就任

この記事の監修ドクターが所属するクリニック

  • 住所: 東京都港区新橋3-3-13Tsao Hibiya5F
  • 最寄駅: JR東京メトロ銀座線都営浅草線ゆりかもめ新橋駅徒歩7分、都営三田線内幸町駅徒歩4分、東京メトロ日比谷線虎ノ門ヒルズ駅徒歩10分
  • 院長: 山口 憲昭
  • 診療時間: 9:00〜18:00
  • 休診日: 詳細な診療日はInstagram公式アカウントにてご確認ください。